2015年02月26日

「修学院離宮」を参観させて頂きました♪(前編)




2月19日に京都市左京区の比叡山麓にある「修学院離宮」に行ってきました。
この日の京都は、一日中、天気雨でした。よくあることなんでしょうか?
曇っていたり時折、晴れ間が見えたりでしたが、常に細かい雨が降っていました。

「修学院離宮」は、1659年(万治2年)頃に完成した後水尾上皇の離宮です。
総面積は、545,000uで上離宮、中離宮、下離宮の3つを松並木の道で結んでいます。

総門をくぐり、受付を済ませ、参観開始です。まずは下離宮の「御幸門(みゆきもん)」です。





花菱模様の透かし彫りが施してあります。





「寿月観(じゅげつかん)」です。





一の間に掛かる扁額は、後水尾上皇の宸筆(しんぴつ)です。





一の間の違い棚です。「原 在中」により、戸袋には雲と鶴、地袋には岩と蘭の絵が描かれています。





襖には「虎渓三笑(こけいさんしょう)」の絵が「岸駒(がんく)」によって描かれています。
(※1950年に模写のものに入れ替えられ、現品は別に保存しているそうです)





三の間の襖絵は「岡本豊彦」による「泊船(とまりぶね)」です。





次に、松並木の道を通り、中離宮に向かいます。





長髪の若い男性ガイドさんで、グイグイ歩くタイプでした。当然、列は長くなっていました。





「中門(ちゅうもん)」です。







「客殿」の杉戸に描かれている祇園祭の山鉾「岩戸山(いわとやま)」と
「放下鉾(ほうかほこ)」です。筆者は「住吉具慶(すみよしぐけい)」と
伝えられてきましたが、近年の研究により「狩野敦信(寿石)」とされています。





「客殿」一の間の「霞棚(かすみだな)」です。
「桂離宮」の「桂棚」、「三宝院」の「醍醐棚」とともに天下の三棚の一つに数えられています。







鯉の絵の作者は不詳ですが、網は「丸山応挙」の絵だと伝えられています。





手すりは「網干(あぼし)の欄干(らんかん)」と呼ばれています。





「楽只軒(らくしけん)」です。





一の間には「狩野探信」の筆による吉野山が描かれています。

上離宮」後編へと続きます。・・・to be continued later♪






posted by ミッキー at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日帰り旅行・小旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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